【父との想い出】 ⑦ 
2018/01/26 Fri. 22:05 [edit]
~最期の時間、万感の想い~
昨年5月の連休を過ぎると、
ディサービスとショートスティの併用では厳しい状況となり、
専門病院へ入院することになりました。
郊外の田園地帯を望む病室からの眺めを、
父はとても気に入っているようでした。
車椅子になっても、体調が良い時には、
病院の庭に出て、この眺望を楽しんでいたそうです。

11月になると、誤嚥性肺炎をきっかけに、
一般病棟からICUに移り、目に見えて衰えが感じられ、
だんだん会話も難しくなってゆきました。
最後の一カ月は、何も食べられず、
食べるのが好きだった父が、見る見る痩せて、
本当に気の毒でしたが、
大好きな梨の擂りおろしを口に含ませてあげると、
本当に嬉しそうでした。

ここ1年余り、この時間が早いのか遅いのかは分かりませんが、
父にとって、「昨日出来たことが、今日できない」、
「今日できることが、明日出来ないかも知れない」という
不安と失望が大きく、本当に辛い日々でした。
でも、私にとっては、これまでに無かったくらい、ゆっくりと話をし、
向き合う時間が持てたのは幸せなことだったと思うのです。
そして、12月19日、午前11時22分。
家族と多くの親戚に看取られながら、穏やかに旅立ちました。
お通夜当日の朝。
「ちゃんと向きあえていたのだろうか。」
「もっと、してあげられたことがあったのではないか。」
考えれば考えるほど、後悔の念が込み上げてきます。
もし、元気で居れば、今日が91歳の誕生日。
95歳までは元気で居て欲しかった…
まだ、しばらくは、そんな気持ちから抜け出せそうにありません。
四十九日明けの2月になったら、
“緑だらけ~!”を再開しようと思います。
よろしかったら、また、お付き合い下さいね~。
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昨年5月の連休を過ぎると、
ディサービスとショートスティの併用では厳しい状況となり、
専門病院へ入院することになりました。
郊外の田園地帯を望む病室からの眺めを、
父はとても気に入っているようでした。
車椅子になっても、体調が良い時には、
病院の庭に出て、この眺望を楽しんでいたそうです。

11月になると、誤嚥性肺炎をきっかけに、
一般病棟からICUに移り、目に見えて衰えが感じられ、
だんだん会話も難しくなってゆきました。
最後の一カ月は、何も食べられず、
食べるのが好きだった父が、見る見る痩せて、
本当に気の毒でしたが、
大好きな梨の擂りおろしを口に含ませてあげると、
本当に嬉しそうでした。

ここ1年余り、この時間が早いのか遅いのかは分かりませんが、
父にとって、「昨日出来たことが、今日できない」、
「今日できることが、明日出来ないかも知れない」という
不安と失望が大きく、本当に辛い日々でした。
でも、私にとっては、これまでに無かったくらい、ゆっくりと話をし、
向き合う時間が持てたのは幸せなことだったと思うのです。
そして、12月19日、午前11時22分。
家族と多くの親戚に看取られながら、穏やかに旅立ちました。

「ちゃんと向きあえていたのだろうか。」
「もっと、してあげられたことがあったのではないか。」
考えれば考えるほど、後悔の念が込み上げてきます。
もし、元気で居れば、今日が91歳の誕生日。
95歳までは元気で居て欲しかった…
まだ、しばらくは、そんな気持ちから抜け出せそうにありません。
四十九日明けの2月になったら、
“緑だらけ~!”を再開しようと思います。
よろしかったら、また、お付き合い下さいね~。


【父との想い出】 ⑥ 
2018/01/23 Tue. 22:05 [edit]
~「花壇づくりプロジェクト2016」編~
一昨年の6月、両親からの要望もあって、
家内と二人で、実家の庭の一角に小さな花壇をDIYで製作しました。
⇒「花壇づくりプロジェクト2016」は、こちら。
めっきり足腰が弱くなった父のために、
木枠で囲い、あまり屈まなくても手入れが出来る花壇と、
小さなテラスをつくり、そこに愛用のテーブルセットを置けるように…。
構想スケッチ
元々、実家の庭は、家を建てた当時、
父が自ら河原から拾ってきた川石を並べ、
そこに気に入った苗木や草花などを植え込んだ手づくりの庭。
かつて、中心にはド~ンと大きな「シュロ」が植え込まれ、
足元がたくさんの「水仙」や「チューリップ」の花に包まれると、
子どもながらも、春の訪れを感じ、嬉しくなったものでした~♪
メインツリーだった「シュロ」はすでになく、
最近は、荒れ気味になっていました。
befor

after
いざ出来上がってみると、
炎天下で座りっぱなしでは熱射病が心配だし、
蚊に刺されまくりで、どうかなぁ…
という感じでしたが、結構、活用してもらえたようで、
それはそれで親孝行出来たのかと思います。
テラスの部分に、「カナダトウヒ・コニカ」の鉢植えを置いたのですが、
これはクリスマスのミニツリーとして飾リ付けるため。
残念ながら、その頃には、家の中に居る時間が多くなっていました。
![DSCN9688[2]](https://blog-imgs-118.fc2.com/p/e/n/penpen1go/20180108222437dd1.jpg)
翌春、「水仙」が満開になる頃には、ディサービスからショートスティへと進み、
ほとんど庭に出る機会もなくなりました。
![NEC_0236[2]](https://blog-imgs-118.fc2.com/p/e/n/penpen1go/20180108222647414.jpg)
本当は、もっと元気なうちに作ってあげたかったなぁ。
次回は最終回です。
俄かに始まった、“花壇づくりプロジェクト”。
最後の親孝行になって、本当に良かったです。
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一昨年の6月、両親からの要望もあって、
家内と二人で、実家の庭の一角に小さな花壇をDIYで製作しました。
⇒「花壇づくりプロジェクト2016」は、こちら。
めっきり足腰が弱くなった父のために、
木枠で囲い、あまり屈まなくても手入れが出来る花壇と、
小さなテラスをつくり、そこに愛用のテーブルセットを置けるように…。
![img011[1]](https://blog-imgs-118.fc2.com/p/e/n/penpen1go/20180104002802940.jpg)
元々、実家の庭は、家を建てた当時、
父が自ら河原から拾ってきた川石を並べ、
そこに気に入った苗木や草花などを植え込んだ手づくりの庭。
かつて、中心にはド~ンと大きな「シュロ」が植え込まれ、
足元がたくさんの「水仙」や「チューリップ」の花に包まれると、
子どもながらも、春の訪れを感じ、嬉しくなったものでした~♪
メインツリーだった「シュロ」はすでになく、
最近は、荒れ気味になっていました。


![DSCN9635[1]](https://blog-imgs-118.fc2.com/p/e/n/penpen1go/20180104002811701.jpg)
いざ出来上がってみると、
炎天下で座りっぱなしでは熱射病が心配だし、
蚊に刺されまくりで、どうかなぁ…
という感じでしたが、結構、活用してもらえたようで、
それはそれで親孝行出来たのかと思います。
テラスの部分に、「カナダトウヒ・コニカ」の鉢植えを置いたのですが、
これはクリスマスのミニツリーとして飾リ付けるため。
残念ながら、その頃には、家の中に居る時間が多くなっていました。
![DSCN9688[2]](https://blog-imgs-118.fc2.com/p/e/n/penpen1go/20180108222437dd1.jpg)
翌春、「水仙」が満開になる頃には、ディサービスからショートスティへと進み、
ほとんど庭に出る機会もなくなりました。
![NEC_0236[2]](https://blog-imgs-118.fc2.com/p/e/n/penpen1go/20180108222647414.jpg)
本当は、もっと元気なうちに作ってあげたかったなぁ。
次回は最終回です。
俄かに始まった、“花壇づくりプロジェクト”。
最後の親孝行になって、本当に良かったです。


【父との想い出】 ⑤ 
2018/01/19 Fri. 22:05 [edit]
~絵手紙と我が家のガーデニング編~
話題がガーデニングから反れてしまった感がありますが、
もちろん、父は “庭いじり” が大好きでした。
初回で触れたように、父は、庭に咲いた花をよく絵に描いたのですが、
我が家の子どもたちにも絵手紙として、たくさん送ってくれました~♪




ミニアルバムに入れたら、こんなにあったことに、
あらためて驚きです!!
50枚近くありました。
そして、週末、孫たちに会いにやって来ると、
必ず庭を見て回ったものでした。
我が家の庭には見慣れない植物が多く、興味津々だったと思います。


工作好きの父は、子どもたちのおもちゃにと、
廃材で作った飛行機を持って来てくれたことも…
庭の“オブジェ”にも。
実家にあったアルバムの中に、こんな写真を見つけました。
9年ほど前、ガーデンシェッド前のアール型ベンチで撮った集合写真。
まだ子供たちが小さいですね~♪
(子供たちと撮ったスナップ写真を焼き増ししては届けたのですが、
父は、それを大切にアルバムにしていたそうです。)

思い起こせば、このシェッドをDIYしていた20年前、
ちょうど息子の生まれた時期と重なったこともあり、
佳境に入った作業が、私一人でなかなか進みませんでした。
冬を前に、少し焦り始めていた折、父に手助けをもらい、
窓枠の調整など、何とか乗り切れたことを思い出します。
今日は月命日、早いものです。
次回に続きます。
季節ごとの花を描いた“絵手紙”。
一緒に仕上げた“ガーデンシェッド”。
やはり、想い出は尽きません!!
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話題がガーデニングから反れてしまった感がありますが、
もちろん、父は “庭いじり” が大好きでした。
初回で触れたように、父は、庭に咲いた花をよく絵に描いたのですが、
我が家の子どもたちにも絵手紙として、たくさん送ってくれました~♪




ミニアルバムに入れたら、こんなにあったことに、
あらためて驚きです!!

そして、週末、孫たちに会いにやって来ると、
必ず庭を見て回ったものでした。
我が家の庭には見慣れない植物が多く、興味津々だったと思います。


工作好きの父は、子どもたちのおもちゃにと、
廃材で作った飛行機を持って来てくれたことも…

実家にあったアルバムの中に、こんな写真を見つけました。
9年ほど前、ガーデンシェッド前のアール型ベンチで撮った集合写真。
まだ子供たちが小さいですね~♪
(子供たちと撮ったスナップ写真を焼き増ししては届けたのですが、
父は、それを大切にアルバムにしていたそうです。)

思い起こせば、このシェッドをDIYしていた20年前、
ちょうど息子の生まれた時期と重なったこともあり、
佳境に入った作業が、私一人でなかなか進みませんでした。
冬を前に、少し焦り始めていた折、父に手助けをもらい、
窓枠の調整など、何とか乗り切れたことを思い出します。
今日は月命日、早いものです。
次回に続きます。
季節ごとの花を描いた“絵手紙”。
一緒に仕上げた“ガーデンシェッド”。
やはり、想い出は尽きません!!


【父との想い出】 ④ 
2018/01/15 Mon. 22:05 [edit]
~デパートは〝ワンダーランド!!” 編~
天気の悪い日など、海や山に行けない休日は“デパートに行く!!”
というのが定番でした。我が家のお気に入りは○崎デパート。
父の仕事の得意先でもあったのです。
青葉通から見た全景
私の一番の目的は、HOゲージという精巧に出来た鉄道模型のコーナーと、
当時流行った趣味の切手と古銭のコーナー。
そして、最上階の大食堂での昼食と、
帰りに地階食料品コーナー(デパ地下) で買い物をすること。
キハ17
ED11
万博記念切手。
今でこそ、ネットや通販で何でもすぐに手に入る時代ですが、
当時のデパートは何でも揃う、新しいものに出会える〝ワンダーランド“でした。
定時にミニステージで行われるハモンドオルガンの生演奏に聴き入ったり、
初めて「電子レンジ」(確か、1台60万円でした) を見て、
驚いたのもこのデパートでした。
父は、母と私たちに“ちょっと用足しをして来るから”と言って仕事に行き、
しばらくして、また合流するということもしばしば。
デパートの方と一緒にデパート内のレストランで食事したことも。
初めてグラタンを食べたのもこの時でした。

帰り時間が近くなると、いつも地下食品売り場(デパ地下)へ。
そんなに高価なものを買う訳でもなく、
生鮮食料品、和洋中の惣菜、和・洋菓子など、
あらゆるものが一堂に会する、あの独特な雰囲気が好きでした。
懐かしいキャンディの回転テーブル
とりわけ、お気に入りだったのが、「ドーナツの自動製造機」。
その一角は、まさにミニ工場とも言うべきもので、
すでに溶かした生地の素が、一定間隔で落下して、
油の海に浮かんで揚がりながら回収されていくという、
一連の流れを見せる構造で、行く度に食い入るように眺めていました。
次回に続きます。
お天気の時は海や山、雨になるとデパートへ。
一体いつ勉強したのだろう?古き良き時代でした~♪
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天気の悪い日など、海や山に行けない休日は“デパートに行く!!”
というのが定番でした。我が家のお気に入りは○崎デパート。
父の仕事の得意先でもあったのです。

私の一番の目的は、HOゲージという精巧に出来た鉄道模型のコーナーと、
当時流行った趣味の切手と古銭のコーナー。
そして、最上階の大食堂での昼食と、
帰りに地階食料品コーナー(デパ地下) で買い物をすること。



今でこそ、ネットや通販で何でもすぐに手に入る時代ですが、
当時のデパートは何でも揃う、新しいものに出会える〝ワンダーランド“でした。
定時にミニステージで行われるハモンドオルガンの生演奏に聴き入ったり、
初めて「電子レンジ」(確か、1台60万円でした) を見て、
驚いたのもこのデパートでした。
父は、母と私たちに“ちょっと用足しをして来るから”と言って仕事に行き、
しばらくして、また合流するということもしばしば。
デパートの方と一緒にデパート内のレストランで食事したことも。
初めてグラタンを食べたのもこの時でした。

帰り時間が近くなると、いつも地下食品売り場(デパ地下)へ。
そんなに高価なものを買う訳でもなく、
生鮮食料品、和洋中の惣菜、和・洋菓子など、
あらゆるものが一堂に会する、あの独特な雰囲気が好きでした。

とりわけ、お気に入りだったのが、「ドーナツの自動製造機」。
その一角は、まさにミニ工場とも言うべきもので、
すでに溶かした生地の素が、一定間隔で落下して、
油の海に浮かんで揚がりながら回収されていくという、
一連の流れを見せる構造で、行く度に食い入るように眺めていました。
次回に続きます。
お天気の時は海や山、雨になるとデパートへ。
一体いつ勉強したのだろう?古き良き時代でした~♪


【父との想い出】 ③ 
2018/01/12 Fri. 22:05 [edit]
~仕事への想い、季節の行事編~
そんな父の一番の誇りは仕事でした。
幾度となく職場である印刷工場に連れて行かれ、
巨大な輪転機や大量に積まれた印刷物の山を見て驚いたこと、
インクや紙の臭いが懐かしく思い出されます。
巨大な高速輪転機
庭で焚き火をすると、父は決まって“火(炎)は7人の友。
だからずっと見ていても飽きないんだよ”と教えてくれました。
今でこそ、“1/f ゆらぎ”による癒し効果が知られていますが、
きっと理系出身だった父は、そのことを知っていたのかもしれません。
どんと祭
一方、田舎の人らしく、季節ごとの行事が好きで、
七草粥、冬至かぼちゃ、菖蒲湯、十五夜、鏡開きなど、
本格的ではないのですが、必ずやりましたし、
実家の敷地は、分譲以前、農家の畑だったこともあり、
敷地内に梅、柿はもちろん、桃、杏、梨の木までも残されていました。
年末の焚き火や庭で収穫した梅や柿の実で、梅干しや干柿づくりなどは、
子どもにとって楽しみなイベントでした。



次回に続きます。
仕事に限らず、何事にも妥協しない、
昭和ひと桁ならではの厳しさを持った父でした。
我が家でも、季節の行事は続けて行こうと思います。
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そんな父の一番の誇りは仕事でした。
幾度となく職場である印刷工場に連れて行かれ、
巨大な輪転機や大量に積まれた印刷物の山を見て驚いたこと、
インクや紙の臭いが懐かしく思い出されます。

庭で焚き火をすると、父は決まって“火(炎)は7人の友。
だからずっと見ていても飽きないんだよ”と教えてくれました。
今でこそ、“1/f ゆらぎ”による癒し効果が知られていますが、
きっと理系出身だった父は、そのことを知っていたのかもしれません。

一方、田舎の人らしく、季節ごとの行事が好きで、
七草粥、冬至かぼちゃ、菖蒲湯、十五夜、鏡開きなど、
本格的ではないのですが、必ずやりましたし、
実家の敷地は、分譲以前、農家の畑だったこともあり、
敷地内に梅、柿はもちろん、桃、杏、梨の木までも残されていました。
年末の焚き火や庭で収穫した梅や柿の実で、梅干しや干柿づくりなどは、
子どもにとって楽しみなイベントでした。



次回に続きます。
仕事に限らず、何事にも妥協しない、
昭和ひと桁ならではの厳しさを持った父でした。
我が家でも、季節の行事は続けて行こうと思います。


【父との想い出】 ② 
2018/01/08 Mon. 22:05 [edit]
~天体観測、植物、化石採集編~
父と言えば、とにかく好奇心旺盛な人でした。
私が小学校5年生の時のジャコビニ流星雨、小6の時のコホーテク彗星、
中学2年生時のウェスト彗星、就職1年目のハレー彗星など…
大きな天文ショーがあるたびに、夜中起き出しては、
視界の開けた場所まで出掛け、一緒に観測したことを思い出します。
父から譲り受けた二眼レフカメラを使って、
星野写真を撮るようになったのも、こうしたことがきっかけでした。


全天恒星図
実家の周囲は街中の割に里山の自然が残っており、
近くに営林署があり、隣接する見本園では、
トチの実や珍しい大きなトウヒの球果を拾ったり、
近所の沼でヌマエビをたくさん採り、茹でて食べたことも。


裏山の切通しでは、宝探し気分で、
木の葉や二枚貝の化石採集に熱中したこともありました。


次回に続きます。
何にでも興味を持って、突き詰めてしまう…
そんなDNAは、引き継がれているのかも。
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父と言えば、とにかく好奇心旺盛な人でした。
私が小学校5年生の時のジャコビニ流星雨、小6の時のコホーテク彗星、
中学2年生時のウェスト彗星、就職1年目のハレー彗星など…
大きな天文ショーがあるたびに、夜中起き出しては、
視界の開けた場所まで出掛け、一緒に観測したことを思い出します。
父から譲り受けた二眼レフカメラを使って、
星野写真を撮るようになったのも、こうしたことがきっかけでした。



実家の周囲は街中の割に里山の自然が残っており、
近くに営林署があり、隣接する見本園では、
トチの実や珍しい大きなトウヒの球果を拾ったり、
近所の沼でヌマエビをたくさん採り、茹でて食べたことも。


裏山の切通しでは、宝探し気分で、
木の葉や二枚貝の化石採集に熱中したこともありました。


次回に続きます。
何にでも興味を持って、突き詰めてしまう…
そんなDNAは、引き継がれているのかも。


お久しぶりです。 
2018/01/04 Thu. 23:15 [edit]
1年ほど前から俄かに衰えが進み、
昨年5月下旬以降、入院生活を余儀なくされていた父でしたが、
昨年12月19日、満90歳の天寿を全うし、他界しました。
改めて、私自身の価値観や興味関心など、
あらゆる部分で、いかに大きな存在だったかを再認識…
居てもたってもいられず、父との想い出を綴ることに。
しばしお付き合い下さい。
【父との想い出】 ①
春には、近所の雑木林を散歩し「ワラビ」や「タラの芽」を摘み、
夏になると近郊の海岸にハゼ釣りへ。
もともと農家の出の父は自然好きで、物心がついた頃から、
たくさんの鳥や魚、草花の名前などを教わりました。
![201103052210565b7[1]](https://blog-imgs-118.fc2.com/p/e/n/penpen1go/20180104002348876.jpg)
![20090828205331a9b[1]](https://blog-imgs-118.fc2.com/p/e/n/penpen1go/20180104002357958.jpg)
小学生の頃、父は原付バイク、兄と私は自転車をこいで、
2時間以上かけて海まで行ったものの、
スコールのような夕立ちに会い、ずぶ濡れになって帰ったことや、
運河を半ズボンまで浸かって渡った挙句、
カキ殻で大怪我をしたことも。
釣れない日は、砂浜で「ハマボウフウ」を摘み、防風林ではキノコ採り。
意味もなく、海岸線を延々と歩いて、
帰り道、薄暗くなって大変な思いをしたこともありました。
![2010071822032625d[1]](https://blog-imgs-118.fc2.com/p/e/n/penpen1go/20180104002432701.jpg)
私は、そんな父と自然の中へ出掛けるのが大好きでした。
現在のガーデニング好きも、父とのこうした体験が大きく影響していると思うのです。
また、父は絵を描くことが好きで、
庭に咲いた季節の草花や戴いた花束などを描いてはリビングに飾り、
実家を訪ねるたびに、新作を嬉しそうに自慢するのでした。



バリ島旅行の思い出。
次回に続きます。
休みの間、ご訪問頂いた皆様に改めて感謝いたします。
小さい頃から、様々な鳥や魚、草花の名前などを教わり、
気付けば、ガーデニング好きのきっかけに…
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昨年5月下旬以降、入院生活を余儀なくされていた父でしたが、
昨年12月19日、満90歳の天寿を全うし、他界しました。
改めて、私自身の価値観や興味関心など、
あらゆる部分で、いかに大きな存在だったかを再認識…
居てもたってもいられず、父との想い出を綴ることに。
しばしお付き合い下さい。
【父との想い出】 ①
春には、近所の雑木林を散歩し「ワラビ」や「タラの芽」を摘み、
夏になると近郊の海岸にハゼ釣りへ。
もともと農家の出の父は自然好きで、物心がついた頃から、
たくさんの鳥や魚、草花の名前などを教わりました。
![201103052210565b7[1]](https://blog-imgs-118.fc2.com/p/e/n/penpen1go/20180104002348876.jpg)
![20090828205331a9b[1]](https://blog-imgs-118.fc2.com/p/e/n/penpen1go/20180104002357958.jpg)
小学生の頃、父は原付バイク、兄と私は自転車をこいで、
2時間以上かけて海まで行ったものの、
スコールのような夕立ちに会い、ずぶ濡れになって帰ったことや、
運河を半ズボンまで浸かって渡った挙句、
カキ殻で大怪我をしたことも。
釣れない日は、砂浜で「ハマボウフウ」を摘み、防風林ではキノコ採り。
意味もなく、海岸線を延々と歩いて、
帰り道、薄暗くなって大変な思いをしたこともありました。
![2010071822032625d[1]](https://blog-imgs-118.fc2.com/p/e/n/penpen1go/20180104002432701.jpg)
私は、そんな父と自然の中へ出掛けるのが大好きでした。
現在のガーデニング好きも、父とのこうした体験が大きく影響していると思うのです。
また、父は絵を描くことが好きで、
庭に咲いた季節の草花や戴いた花束などを描いてはリビングに飾り、
実家を訪ねるたびに、新作を嬉しそうに自慢するのでした。




次回に続きます。
休みの間、ご訪問頂いた皆様に改めて感謝いたします。
小さい頃から、様々な鳥や魚、草花の名前などを教わり、
気付けば、ガーデニング好きのきっかけに…


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